『源氏物語』は、知っての通り、紫式部が1001年に執筆を開始し、
1008年に清書・製本化が進んだとされる。
丁度1000年前の事。
そして、紫式部の書斎「源氏の間」が残る、滋賀県大津市の石山寺は、中秋の名月で有名ですが、
春には桜、秋には紅葉、そして、梅、ツツジ、姫シャガ、菖蒲、紫陽花など、
季節々に 花が咲き乱れる風光明媚なお寺のひとつです。
ところで、『源氏物語』に、
明石(兵庫県)から帰京した翌年の9月に、源氏が石山寺に参詣する折り、常陸の介一行と逢坂山で出会うくだりがあります。
常陸の介とは、空蝉の夫。
*「空蝉」(うつせみ)・・・本来「現身」と書いて、神に対して現実に生きる人間をさしていましたが、それが仏教の無常観と結びつき、はかない人生をあらわすようになった。
ここでは、夜着を脱ぎ捨てて、源氏の手を逃れた女性の呼び名となっている。
*夫の死後、出家した空蝉だが、厳しい自己抑制が、源氏の終生の庇護を獲得する。
・・・・・ビギナーズ・クラシックス『源氏物語』より
空蝉は、源氏をとりまく女性の中で、拒否した女性であり、他の女性とは違った個性があって 印象的。
あと、源氏とは何の関係もないけれど、ライバルでi従兄弟の「頭の中将」の娘「近江の君」は、早口で無教養 とあり、 源氏をとりまく他の女性とは 全く異質な存在として登場している。
近江の君は、自分の喋り方が産まれた時に読経をあげてもらった八日市の妙法寺のお坊さんに似ているのだそうだと、親の心配をよそに、平然としているところが コケティッシュで憎めなかったりする。
紫式部がどういう思いでこの女性を登場させたのか、ちょっと知りたい。
逢坂山の関所は、小倉百人一首の蝉丸の歌で有名。
「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」
昔、有名無名の数々のストーリーが生まれたと思われる逢坂山は、今は ひっそりとしたたたずまいの 何ともいえない雰囲気を醸し出しています。
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